コロナ禍が2年経過

まさかこんなに長く続くとはね、2020年に志村けんや岡江さんが亡くなったときは思ってもなかった。
そしてその頃言われてた、ただの風邪説。今はまだそのレベルまでは行かないけど、なんとなく終焉は風邪のようになるウィルスとしてこの地球上から過去のものとなっていくのかな、と思ったり。
中野善嘉さんの孤独からはじめよう、という本を読んでいます。ビジネスで成功していて、家族もいて本を出すような必要もないけど、印税は全額寄付します、と本を出している。
自分に何も入ってこないのに、わざわず自分をさらけ出す意味はなんだろうと思うけど、覇気のないこの時代の働く世代へのエールだと思って読んでいます。
本の内容とは全然関係ないけど、読んでいて思うのはとにかく必死で生きた人しか成功しないということ、そしてその成功は簡単には手に入らず時間がかかり、自分がそれを感じるときにはとてつもない時間を振り返ることになるくらい生きた後なんだ、ということ。
それを考えると若い世代、働く世代がつらい日々なのは当たり前なのかな、と思ったりします。
まぁ、私の辛い日々はどんなに長く我慢しようとも成功には導かれないけど、それが普通の凡人の頑張りなんだろう、と社会のしくみをそう理解するわけです。

制約のある中でもやりたいことはやろう。どんな時代に生きていようとも自分の人生は自分だけのもの、誰にも文句言われる筋合いないぜ。

私という人間

何歳まで生きる?
いつまでこんな不毛な時間を過ごす?

でもなぁ、これからの人生で今日が一番若いんだよなぁ、どういう気持ちで向き合えばいいのか。

私は今日久しぶりにビールを飲み酔っ払い、玉森くんみたいな恋人が若いときにいて、結婚して子供も産んでたらどんな人生だったかしら?とか馬鹿なことを考えたりしています。

何十年一緒に働いたとしても人生が交わることのない人々と人生の時間を費やす事にとてつもない脱力感を感じながらそこから抜け出せない無力な自分、というのを痛いほど感じている。

アホか!
もう享年45歳で結構。
病院の送迎も辟易、白衣の女とか受付の意地悪女とか、全部捨ててこの場から逃げ去りたい。

1年の体感

メールに、最後のブログ投稿から1年経ちました。過去を振り返りませんか?
なーんて連絡が入りました。1年前の自分の書いたことを見て、昨日のことのよう、または今日も同じことを考えてる、なんて思ってしまった。変化も進歩もありません。相変わらずの省エネ低空飛行。

変化があった事。オリンピックがなくなりコロナが流行り、世の中も働き方も人の価値観も変わったと言うこと。そして先の世界、未来がますます見えなくなってきた事。

そして今週は九州で激甚災害が起きた。このコロナ騒動の中、家や車持ち物すべて流されてしまった人々。そんな人を思えば、自分の先行きの不透明さなんて鼻クソみたいな悩みです。どうかこれ以上日本に、世界にも、災害は起きませんように。

誰もが1日に1回はクスっと笑えるエピソードがありますように。

何もかもが嫌になるとき

会社や家で心労になるような出来事が起きて、自分も不調な所があったり、予定したことが尽くうまく行かなかったり、心底疲れて、何もかもが嫌になるときがある。もちろん解決方法なんてない。

そんなとき、どうしたらいいのだろう?何をするのが正解?

周りの人がこんな状況なら、いつも"次になにかしたいと思うまで何もしないことだよ。何も考えず何もせず、心と体を休めることだよ。"とアドバイスする。

けど、常に何もかもがうまく行かなかったら常に何もせずにいろ、と言うアドバイスにもなりかねない。人生なんてうまく行くことのほうが少ないのだから。

最低限のパワーで生きるには現状維持を目指してやむなく変化が起きてしまったときはその変化の部分だけ変えていく、と言う修正をしながら生きる人生かな?

自分の人生は知らないうちにそういう最低限のパワーで生きる人生しか選択肢がなくなってしまったような気がしている。

省エネ人生。

「2018年上半期」

先週で上半期も終わったのですね。2018年も半分を過ぎて、不完全燃焼ながら、後半に思いを馳せると、とにかく腐らずに頑張ろうってことだけです。嫌なことはたくさんあって気分も悪くなることも多いけど、とにかく腐らない、心が腐るともうやけくそな気持ちになるのでそこにならずにどうにか体よくすべてを収めて行きたいと思うのです。

最近は嫌なことがありもうどうしよう、と悩むと、今生は仕方ない、次に頑張ろうと思う。この人生はもうそんなに長くないのだから、そこで嫌になるより今生はこれでも仕方ない、と生まれ代わりを望む自分がいます。

次は幸せな家で飼われる犬でもいいや、と思う。

没頭すること

これは自分だけの話か、誰にでもあることかは分からないけど、時々自分の現実世界をすべて忘れて何かに没頭してしまうことがある。それは読書で本にのめり込みすぎて夢に別の話の展開が出てきてしまい、実際の本はどちらの話が本当だったのか?記憶にないくらい自分の中に刷り込まれる話だったり。

会社帰りの電車で気になることを調べてネットサーフィンに没頭し、大分自分の最寄り駅を通り過ごしていて、気がついて自分自身に驚くときとか。

世の中の人はそんなにぼんやり暮らしていないだろうか、けど、私はその何かに没頭している時間はストレスすら忘れるくらい、脳がフル回転でそれに夢中になる瞬間がある。

自分の人生で自分自身を生きてる!と思える瞬間はその何かに没頭してる時間と寝てる時間だけに思える。

仕事以外の時間

自分の時間を拘束されることで給料を貰う会社員と言う生活。
自分の時間をゆっくりのんびり使えたらなぁ、と朝の通勤時間帯などは思わずにいられない。好きなだけ寝て、好きなときに起きて、コーヒー飲みながら今日は何をしようかなぁ?と考えられる余裕のある毎日。

たまには自然の豊かなところに行ってキャンプなどしながら語り合う、みたいなとにかく余裕のある生活に憧れる。

お金もある程度は必要だろう、けど、時間があると言うことはお金があるのと同じくらい価値がある。しかし、この消費社会では何もかも生活にはお金が必要で働かざるを得ない。

打開策を模索中。

THE GLAMPING STYLE YURIEの週末ソトアソビ

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